2019年 栃木県議会議員選挙にむけて

 

この度の選挙ですが、直前まで立候補を悩み続けました。

正直なところ、今回の県議選は立候補しないつもりでした。
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歳の学生時代に、進歩党の故・田川誠一代議士(進歩党・新自由クラブ代表、元自治大臣)の門を叩いて政治の世界に飛び込んでから30年、進歩党解党後は日本新党を経て、故・國弘正雄参議院議員の鞄持ちなどを経験し、26歳で県議選に初挑戦してから24年の歳月が過ぎようとしています。
 幼い頃に兵庫から越してきた母の出身地である宇都宮。関西弁で331日生まれの、一番幼い同級生が奇異に映ったのでしょう。イジメの標的にされました。今思えば大したことでは無いけれど、幼く不安な自分には本当に辛く、毎日のように登園拒否を繰り返した幼稚園時代でした。本当に耐えられなかったのでしょう。30歳の頃、友人の一言があるまでその記憶は完全に蓋をされ、何故登園拒否を繰り返したのか、ずっと分からないままでした。

 小学校では先生に恵まれず、授業中に子どもをボコボコにして骨折させたり、親の事で皆の前で嫌みを言われたり、相手次第で発言態度が180度違ったりという状況ですから、イジメを訴えても何一つ解決なんてするわけがありませんでした。その結果、幼い命を失う事になりました。守ってあげることが出来なかったことを、今でも悔やみきれません。クラスメートとして、思い出しては懺悔しています。しかしおかしな事に、誰一人責任を取ることも報道されることもありませんでした。

 これが私が社会に対し、政治に対し、問題意識を持った原点です。家族や友人を含め、今まで誰にも話したことがありませんでしたが、私も50歳になり人生の終着点も見え出しました。当然関係者も皆50歳以上となっていますし、亡くなられた方もおられるでしょうから、もう公表しても良い時期かと思います。
 私自身は7年前にご縁を頂き、今では二人の父親になりました。6歳と4歳という当時私がイジメにあった年齢です。だからこそ些細なことでも気を遣うし、父親の立候補という行為で平穏な生活を脅かされる家族のこと、時にはからかいやいじめの対象となりうる可能性のあることを考えるとさすがに躊躇しました。

 私自身の性格上、目立つことより裏方が好きだし、自治体政治の世界ではそれなりに多くの仲間に恵まれ、全国各地に志を同じくする友人知人が政治家として活躍してくれています。補欠選挙も含め7回もの県議選立候補で、やり尽くした感もありました。

 24年前、初めて栃木県議選に立候補した時を思い出しました。「次の世代にどんな社会をバトンタッチできるのか」「大人の責任は何なのか」「将来設計の無い杜撰な行政経営は必ず子ども達にツケをまわす!」ということでした。そこから政治は栃木県政は、残念ながら良くなっているとは思えません。

 「イジメで苦しんだり命を落とすことがない社会」「子どもたちが未来を信じ生きられる社会」「子どもにツケをまわさない社会」を目指して、もう一度チャレンジすることを決めました。

 好むと好まざるとに関わらず、社会のルールを決めるのは、政治です。

その政治は、特に栃木県議会では、政党や派閥、組織や団体のための利権擁護の政治家ばかり。完全な無所属議員は一人もおりません。県宇都宮市・上三川町選挙区なんて定数13名もありながら、完全な無所属が当選したことは半世紀近くありません。全国的に見ても異常です。

 またこの4年間の任期中ほぼ全ての議員が、「知事の提案に対し100%賛成ばかり(票目当てで反対パフォーマンスが極めて稀にありますが)」、通年議会であるにも関わらず「毎年多数有る知事の専決処分(議会の承認を後回しで知事が処理してしまうこと)を安易に認める」ような、存在価値の無い議会に成り下がっています。

 たった一人では何も出来ない!とよく言われますが、政治家や官僚に責任を転嫁し文句ばかりで何も行動しないよりはマシです。政治家は我々有権者の1票でしか誕生できません。そんな政治家を生み出しているのは、我々有権者です。多くの有権者が、自分の1票の責任から逃げ続けた結果が、今の増税ばかりの閉塞感溢れる日本です。高齢化・少子化社会が大変なんて、50歳の私の中学時代の教科書に書いてありました。この間政治は真剣に向き合ってきたのでしょうか。私にはそうは思えません。
 正直、県会議員の選挙に出るというのはハードルも高く、マスコミ報道も多いので落選後の苦労もなかなかのものです。
 でも愛する子ども達が大人になり社会を担うとき「お父さんたちが無責任だったから私たちが大変な思いをしなきゃならない」なんて言われたく有りません。愛する子ども達の教育も大切ですが、育つ環境・社会も同じように大切だと痛感するからです。

 

 欠点だらけの未熟な父親ですが、今に生きる大人の責任として、少しでも問題提起をして変革のギアを回すために、捨て石になりたいと思います。諦めて何もしないより、アホと言われても蟷螂の斧であっても。決して愛する子どもの未来は諦めたくありません。

 私は無責任な大人になりたくない。小さくても少しでも真剣に向き合って変える努力をしていきたい。だから再び立候補を決めました。子どもにツケをまわさない!ために。

皆さんの責任はどうですか。